お得な競馬情報

京都競馬場のナゾ②

京都競馬場のナゾ④

まだまだ京都競馬場の謎は続く。
巨椋池を中心に進めてきたいままでの流れのなかで、まだ一切触れていない
ものがあることにお気づきではないだろうか?

それは『鳥居』についてだ。
『巨椋池』の中央。豆牟杏屋と呼ばれる小島の上』些挫つ鳥居の存在である。

一般的に、鳥居は神社の入口など、また一部には海の中に立てられたりしているものなどを含め「神界と人間界を分ける境界を示すもの(結界)」とか
「神の烏が休む場所」などを意味しているといわれている。
日本全国どこの神社にもある烏居……。普段の生活からなにげなく目にして
いるもののひとつではあるが、実際その意味については意外に知られていない。
正直、我々も神社の門がわりとして立っている程度の認識しかない。そのもの
の起源さえよくわかっていないとされる烏居。なんとも謎だらけの物体ではある。

とはいえ、烏居が立っている場所には「立てる理由」があったはずだ。
意味はわからないけれども、必要だからこそ立てられたと考えるほうが自然
なのだ。特に神社ではない場所に立っている鳥居は意味深である。では、なぜ
京都競馬場の池のまんなかに鳥居はあるのだろう?

京都競馬場の鳥居の起源をJRAに問い合わせても「あまりにも古すぎるこ
とで資料さえも残っていない」という答えしか返ってこないだろう。もちろん、京都競馬場が建設されたのは帥年前だから、当時を知るものきえいない。さら
には帥年前の資料が現存している可能性だって低い。とはいっても、解決の糸
口はやはりJRA内部にあると思った私は、知り合いを通じて、現在、馬場管
理をしている職員のひとりに「なんでもいいから鳥居について知っていること
を教えてくれ」と頼み込んでみた。現場の人間ならば、年配の人間からなんら
かの伝説を聞いている可能性があるからだ。
しかし結果は期待ハズレなものだった。返ってきたのは「私は単に職務とし
て管理しているだけで、鳥居の意味なんて知らないし、聞いたこともない」と
いう返事だった。取材は完全に行き詰まった。
だが、徐々に取材を続けているうちに、違うルートに光明を見出すことがで
きた。特に興味深かったのは、競馬場近隣に古くから住む方々の話であった。
そのなかのひとつ。「京都競馬場をつくるとき、すでにこの地に鳥居はあっ
た」という話は信用性が高く感じられた。「すでにあった鳥居を撤去すること
ができずに、そのかわりに池のなかの島に立てた」というものである。そもそ
も競馬場周辺は、建設の時点で比較的埋め立てのしやすい浅い沼地が競馬場候補地として選ばれたとかで、周辺には『弁慶池』と『天狗池』という2つの大
きな池があり、その間の浅い部分に鳥居があったという話である。現在の京都
の池の真ん中にある小島は『弁天白厘と名前がついているが、それは墓藍踊些
と三舎鰹哩の頭文字雰江と『天」を取ってつけられたともいっていた。ここ
まで整合性があれば、どうもこの話が一番真実に近いと思える。

ただ、私はもう一歩踏み込むことにした。
どうして『弁慶池』と『天狗池』の間の浅い沼地に、鳥居があったのかとい箔っことだ。
やはり蔭古くからの住民の方の話をもとに、文献を片っ端から調べてみたのだ。
すると私は、恐ろしい歴史の闇にでくわしてしまったのである。

現在の京都競馬場は、戦国時代、本能寺で織田信長を暗殺した明智光秀が、
その後、豊臣秀吉から攻め立てられて敗走した場所だったのだ。
豊臣・明智両軍が戦った『山崎の戦些があったとされる『京都府大山崎町』は京都競馬場のわずか西側にあった。その『山崎』の池と、光秀が落武者狩りの土民に殺されたといわれる『小栗栖』を直線で結ぶ線上に、現在の京都競馬
場は位置しており、まさに光秀の敗走ルートに当たる。歴史の記述には、明智
軍が「巨椋池の周りを逃げた」とあるが、明智軍は追手を逃れるために言』椋
池』の浅瀬濯縫うようにして逃げたとしても不思議ではない。その途中、騎馬
であれ、足軽であれ、命からがらの状態の傷ついた兵たちのなかには途中で命を落とした者だっていたはず。無念のまま倒れ、命尽き、泥の中に消えていっ
た死体は少なくなかったのだ。ある方は「そのような兵たちの魂を鎮魂するが
ために、周辺の人々によって鳥居は建てられたのではないか」といっていた。
もうひとつの説は「巨椋池は、平安時代から京都の死人を葬る場所だった」
というものだ。平安京成立以降、京の都やその周辺で死んでいった人々、特に
身分が低いものや、出身のわからない者たちが死ぬと、そのまま「巨椋池』ま
で運ばれて、泥のなかに埋められるように埋葬されたというものだ。特に、都
で、災害や飢謹、事故などが起こって大量に死者が出た場合などは、一番手っ
取り早く死体を埋める場所として『巨椋池』に運んだというのは領ける。

歴史の経過とともに、昔の事情は誰もが知らないものとなる。
どんな悲しい歴史を含んだ土地であっても、時間がたてば何もなかったかの
ように再び使われていくのだ。湖沼はすでに干拓され、いまは人々が普通に暮
らしている京都。我々もそんな場所で、競馬というギャンブルに興じているのだ。
長い歴史のある京都は実に奥深い。
皆さんも京都競馬場に行ったときは十分に気をつけてくださいね。

人気のあるサイト競馬予想